村上春樹がラジオで語った「走るとき(ジョギング)におすすめの音楽」

村上春樹と音楽

作家の村上春樹さんが、先日FMラジオの番組「村上RADIO」のメイン・パーソナリティとして出演。

村上さんがラジオに出演するのは初めてということで、どんな内容になるのかと注目されていました。

村上さんはときどき海外のスピーチや国内で講演会をすることもありますが、ほとんど表舞台には立たないので、聴いたひとからは「こんな声だったんだ」「実在したんだ」という驚きの声もあったようです。

さて、ラジオでは、冒頭で、村上春樹さんがジョギングについて語りました。

村上さんと言えば「ジョギング」というくらい走ることに熱心で、ジョギングの習慣は欠かしませんし、サロマ湖ウルトラマラソンで100キロを完走しました。

また、「走ること」と「書くこと」の関連性を綴ったエッセイも出版しています。

そんな村上さんは、ジョギングするときにiPodを携帯し、そのiPodにはいつもジョギングしながら聴けるたくさんの曲が入っていると言います。

村上春樹さんが掲げる走るときにおすすめの音楽の条件が、以下の三点です。

[box04 title=”走るときにおすすめの音楽の条件”]

リズムが一定

走るというのはリズミカルな運動なので、リズムが途中で変わるような変則的な音楽は適しません。

メロディがすらっ口ずさめる

やはり自分自身で歌うことで気分も乗ってきますし、簡単に口ずさめるほうがよいのでしょう。

勇気を分け与えてくれる曲

確かに絶望的な歌詞や暗い音楽はジョギングの際には適しませんよね。もう走り出してしまったのですから、とにかく歩みを止めない曲が、少なくともジョギング中は適当でしょう。

[/box04]

以上が、村上さんが挙げる、走るときにおすすめの音楽の要件です。

要するに、「難しい音楽は駄目」ということです。

村上春樹が走るときに聴く音楽とは

それでは、村上さんは具体的に走るときにどんな音楽を聴くのでしょうか。

ブライアン・ウィルソン「ハイ・ホー/笛をふいて働こう/ヨー・ホー」

一曲目は、アメリカのミュージシャンでザ・ビーチ・ボーイズのボーカル兼ベース担当のブライアン・ウィルソンの「ハイ・ホー/笛をふいて働こう/ヨー・ホー」です。

これはウィルソンがつくったディズニー関連の曲を集めたアルバムの一曲で、ヨー・ホーはディズニーランドのカリブの海賊の音楽として有名です。

三つの曲が一緒になっていて「組み合わせが面白いですよね」と村上さんは言います。

キング・プレジャー「D.B.BLUES」

キング・プレジャーの「D.B.Blues」という曲です。キング・プレジャーは、1922年に生まれ、1982年に亡くなったアメリカの歌手。

彼の本名はクラレンス・ビークス。でも、これでは田舎っぽくて絶対に芽が出ないと考え、キング・プレジャー(王様の喜び)という派手な名前をつけたそうです。

この曲は、レスター・ヤングが1945年に発表した「D.B.Blues」に、キング・プレジャーが歌詞をつけて歌ったものです。

ちなみに、曲のタイトル「D.B.Blues」のD.B.とは一体なんの略なのでしょうか。

これは、「Disciplinary Barracks」の略で、アメリカの陸軍刑務所のこと。レスター・ヤングは実際に麻薬所持の罪で一年間陸軍刑務所に入っていました。

エリック・バードン&ジ・アニマルズ「スカイパイロット」

エリック・バードン&ジ・アニマルズの「スカイパイロット」。

この「スカイパイロット」は、1968年のヒット曲で、当時ベトナム戦争のたけなわの頃、「汝殺すなかれ」というメッセージの入った反戦歌の意味合いのあった「スカイパイロット」は、政治的な理由から、アメリカのラジオでは、あまり流れることはなかったそうです。

この曲は、ジョギングしながら聴くのもいいけど、車を運転しながら聴くのもおすすめ、と村上さんは言います。

その他、昨日の村上春樹さんのラジオで流れた全音楽は、以下の通りです。

村上RADIOで流れた主な曲

・マジソン・タイム ドナルド・フェイゲン

・ハイ・ホー/笛をふいて働こう/ヨー・ホー ブライアン・ウィルソン

・サーフィン・U.S.A. ザ・ビーチ・ボーイズ

・D.B.Blues キング・プレジャー

・スカイ・パイロット エリック・バードン&ジ・アニマルズ

・マイ・ウェイ アレサ・フランクリン

・サバービア ペット・ショップ・ボーイズ

・この素晴らしき世界 ジョーイ・ラモーン

・絶体絶命 ジョージ・ハリソン

・天国への扉 ベン・シドラン

・ラブ・トレイン ダリル・ホール&ジョン・オーツ

・ハートに火をつけて ヘルムート・ツァハリアス

出典 : 村上春樹さん、ラジオDJに 走ることなど語った55分

視聴者からの質問で多かったのが、葬儀のときに村上春樹さんが流してほしい音楽はなんですか、というものでした。

それに対する村上さんの答えが、こちら。

生きているときにずいぶん音楽しっかり聴いたから、死ぬときくらいは静かに死にたい。

出典 : 村上RADIO|TOKYO FM

走ることと音楽(RUN&SONGS)という、村上さんらしいラジオ番組でした。

「感覚を信じない」吉岡徳仁との対談で語る、久石譲の芸術論

おしゃれで疲れない、おすすめの書きやすいノートランキング

紙のノートがよい理由

僕はノートが好きです。手書きの、紙のノートです。

もちろん、パソコンやスマホも使いますが、文章を書くにあたっての下書きや簡単な見取り図、またメモなど、とにかく手書きのノートに書き込んでいます。

一時期は読書ノートもつけ、読んだ本の気になった一節を引用したり抜粋してまとめていました。

紙のノートのメリットは、以下の三つにあると僕は思います。

[box05 title=”紙のノートのメリット”]
  1. 手軽に書ける。
  2. 絵や図も簡単に差し込める。
  3. 目が疲れない。[/box05]

総じて「手軽」というのがノートの最大のメリットです。

他にも、日記などを読み返すと、文字が乱れていたり力んでいたり緩んでいたりと、その文章の中身以外に、感情を教えてくれる部分が多いのも面白いところ。

たとえば、同じ「悔しかった」でも、デジタル情報で見るのと、手書きの文字で書かれているのとでは、その伝わってくる「悔」の度合いが違ってきます。

一方で、これは僕の個人的な事情によるものかもしれませんが、紙のノートには「腕が疲れる」というデメリットがあります。

数年前に怪我をした影響もあって、日頃から右腕の疲労感が強く、ノートに文章を書いていると割とすぐに体が硬直して疲れてくるんですね。

疲れてくると、腕の痛みが生じ、次第に書けなくなってくる。

そうして最後は頭痛のようなものがして、「もう右腕を動かさないで」とブレーキがかかる。

書くという行為は、「運動神経」だったんだな、と怪我をしてからその辺りはだいぶ意識するようになりました。

こうした理由から、僕は「腕に負担の少ないノート」を色々と試すようになりました。

ここでは、そうした経験から僕がおすすめしたい、腕に負担が少なく、疲れない、書きやすいノートをランキング形式で5位から発表したいと思います。

 

書きやすいおすすめのノートランキング、ベスト5

5位「ミドリ  MDノート」

まずおすすめの書きやすいノートの5位は、ミドリの「MDノート」です。

僕が好きなサイズは、A5の横罫や文庫本サイズ。

出典元 : KNOX ONLINE SHOP

これはおしゃれなデザイン文具の総合メーカーとして有名なミドリが、書き心地にこだわって製造したオリジナルのMD用紙を中紙に使用したノートです。

毎日めくり、何かを記したくなる。
多くの方にずっとそう思ってもらえる、いつまでも変わらない紙をつくるためには、守り続けなければならないことがあります。それは「MD用紙」を作るための機械、工程、そして人の目、手、想い。

「紙のこだわり|MD PAPER」より

書くことに絞ったデザインで、柔らかな風合いや肌触り、クリームのような色味が特徴の大人のノート、といった感じでしょうか。

読書ノートや日記帳、旅日誌などにおすすめの一冊です。

4位「アピカ プレミアムCD ノート」

続いて4位は、アピカの「プレミアムCD ノート」

出典元 : 文房具通販・輸入文具のイーステーショナリー

先ほどのミドリのノートがユニセックスな雰囲気のノートなら、こちらは「紳士なノート(と帯でも謳われている)。

ヨーロッパ風のおしゃれな表紙デザインに、青、赤、黒と主張のある色が特徴的です。

紙の種類は、「A.Silky 865 Premium」で、“シルクのようななめらかさ”を演出しています。

ちょっとつるつるとして硬い紙質となっています。こちらも日記や大学の講義などに使うと気分が盛り上がると思います(気分は大事)。

3位「モレスキン」

出典元 : なぜ仕事ができる人はモレスキンを使うのか

3位は、言わずと知れたアイディア手帳「モレスキン」です。

モレスキンはイタリアのブランドで、硬く重厚な表紙と手帳を閉じるためのゴムバンドがおしゃれなノート。

モレスキンの起源は、19世紀の後半。フランスの製本会社によって手工業で製作され、パリの文房具屋で販売されるようになりました。

ピカソやゴッホ、ヘミングウェイなど有名な作家や画家も愛用していたそうです。

その後、一度は生産中止になるものの、このオリジナル版のモレスキンを模して復刻させたのが、現在のモレスキンです。

書きやすいのはもちろんのこと、そのデザイン性で、書く際の気分も高めてくれる「書きたくなる」ノートです。

2位「無印良品 らくがき帳」

出典元 : 再生紙らくがき帳|無印良品

意外と書いていて疲労感が少なかったのが、無印良品の「再生紙らくがき帳」です。

紙の50%が古紙の再生紙ということでだいぶリーズナブルな価格となっています(一冊80枚で92円)。

日記帳や仕事用のまとめノートなどで使うというよりも、とにかく書きなぐる大きなメモ帳として便利です。

絵や図も自由に書ける文字通り「らくがき帳」です。

このランキングは腕に負担の少ない書きやすいノート、というテーマなので、デザイン性などを考慮するともう少し順位は下かもしれなませんが、単純に書きやすさで言うと、この無印のらくがき帳が2位に挙げられます

1位「MUCU BLANK NOTE」

出典元 : MUCU|BLANK NOTE|キナリノモール

そして堂々の第1位が、「MUCU BLANK NOTE」です。

あまり取り扱っているお店が少ないので、ちょっと聞きなれないメーカーかもしれません。

MUCUは「無垢」のことで、素材の良さをそのまま活かしたデザインが特徴の文具メーカーです。

ノートやメモ帳、スケジュール帳の他、レターパッドや封筒なども製造、販売しています。

僕がいちばん好きなノートが、このMUCUのノートです。

漫画や週刊誌などで使用される、ふんわりとした書き心地が魅力の「コミック紙」を中紙に、表紙装丁の芯材などに使われる「チップボール」をそのまま表紙に使用した人気のフリーノートは、日本のみならず海外でも好評なステーショナリー。

出典元 : MUCU|BLANK NOTE|キナリノモール

デザインもおしゃれで、柔らかくて書き心地がとてもよいノート。書きやすいし、見た目も素敵で、総合的にも文句なく1位のノートです。

ただ、現在は売り切れのことも多く、あまり手に入らないのが残念。

 

隠れ1位「HIGFTIDE Notes Flagship Model」

実は、これ以外に隠れ1位のノートがあって、それがHIGFTIDE(ハイタイド)というメーカーのノート「Notes Flagship Model(ノーツフラッグシップモデル)」です。

出典元 : 国際 文具・紙製品展レポート | 文具でたのしいひととき

紙は、本来書籍用として開発された「OKサワークリーム」を使用しています。

ペン先が柔らかく食い込み、滑るように転がっていき、思考をうながしてくれる素晴らしいノートで、書き心地は抜群。

表紙のデザインも、少し変わっていますが大胆で面白いものが多数(全18種類)揃っています。

しかし、残念ながら「Notes Flagship Model」はすでに製造販売が中止となっています。

僕はこのノートが好きで、ネットショップを探し回って残っているノートを当分使えるようにと買い漁っていました(と言っても5冊ほどしか残っていませんでした)。

そのノートを丁寧に丁寧に使って、残りページ数ももうわずか。いつか復刻してほしいなと思います。

 

以上が、僕が過去に実際に使ってみて腕に負担が少なく書きやすいと思ったおすすめのノートのベスト5です。

書きやすさは、ノートやペン(僕がよく使うペンはジェルボールペン「サラサ」の0、7mmです)、また自分の体の特性や姿勢、椅子や机の高さなど様々な要素が関連しているので、ご自身でいちばん合った形を探ってみて下さい。

また新しいノートと出会い次第、随時、順位も変動させていきたいと思います。

村上春樹、新作短編小説「石のまくらに」で短歌。作品のあらすじと書評(感想)。

村上春樹新作短編小説「石のまくらに」

村上春樹さんが、文學界2018年7月号に掲載された新作の短編小説の一つで、短歌を発表したことが話題になりました。

短編小説のタイトルは「石のまくらに」。

短歌を発表、と言っても、短歌を単独で発表したのではなく、作品のなかに短歌が登場したということなので、村上春樹作の短歌というと少し語弊があるかもしれません。

正確には、村上春樹さんの小説に出てくる20代半ばの歌人の短歌、と言えるでしょう。

彼女には、一冊だけ、自費出版とさえ言えないような質素な冊子に綴られた歌集があり、その歌集のうちの数首が小説に登場します。

今回は、この「石のまくらに」の簡単なあらすじと書評(感想)を書きたいと思います。

「石のまくらに」のあらすじ

まず、小説のあらすじをざっくりと紹介します(内容に多少触れる部分があるのでご注意下さい)。

長さは十分ほどで読み終わるくらいの量で、短編と言うより掌編小説と言ってもいいかもしれません。

物語は、主人公の「僕」の回想のなかで進みます。当時の「僕」は、東京に住む二十歳手前の小説家志望の若者。彼は、アルバイト先の20代半ばで短歌を書いているという女性とひょんなことから一夜をともにします。

彼女は、その夜に彼に自分が短歌を詠んでいることを告げ、今度送るからと彼の住所を聞くと、後日手製の歌集が送られてきます。

作品の「石のまくらに」というタイトルも、この歌集のなかの短歌にある言葉に由来しています。

彼女の短歌は、「愛」と「死」にまつわるものばかりでした。たとえば、そのうちの数首を引用したいと思います。

石のまくら に耳をあてて 聞こえるは 流される血の 音のなさ、なさ

今のとき ときが今なら この今を ぬきさしならぬ 今とするしか

出典 : 文學界2018年7月号村上春樹『石のまくらに』

正直、短歌自体の完成度はそれほど高くないのかもしれません。

ただ、それも村上春樹渾身の短歌ではなく、小説の登場人物の短歌だから仕方がない面も多分にあるのでしょう。

彼女は、「僕」に一夜の想い出と、質素な歌集の言葉を残し、姿を消します。

彼女の短歌の空気感と、小説の空気感が絶妙に混ざり合いながら、回想はゆっくりと綴じられていきます。

石のまくらの書評(感想)

書評と言うほどのものではありませんが、感想の健忘録として書き残しておきたいと思います。

村上春樹さんは、個人的には長編よりも短編のほうが肌に合うので、僕はすんなりと読むことができました。

彼の作品の特徴は、この「すんなり」というのが重要な要素だと思います。新鮮で良質な空気のようにすっと体内に入り込んで、気づくと体の一部になっている。

この「石のまくらに」も、そういう類の作品で、僕は割と好きでした。

強いて言うなら、やはり短歌が少し気になりました。短歌だけが、混ざり込んだ細かな砂のように、読み終わったあとに若干の異物感を残しました。

と言っても、先ほども触れたように、彼渾身の短歌ではなく、「20代半ばで、専業で書いているわけではない、儚い女性の短歌」ということなので、その辺りのバランスは難しかったのだろうと思います。

それでも、小説そのものは、特に最後の「石のまくら」という比喩が身を結ぶ箇所の、映像を喚起させる表現力にはすっと引き込まれるようでした。

「感覚を信じない」吉岡徳仁との対談で語る、久石譲の芸術論

作曲家 久石譲さんの芸術論

Photo : simple-yuumin.com

デザイナーの吉岡徳仁さんとの番組内の対談で、ジブリを中心に美しく壮大な映画音楽で有名な作曲家の久石譲さんが、自身の作曲に関する音楽論、芸術論を語っていました。

吉岡 徳仁(よしおか とくじん) 1967年生まれ 佐賀出身

1986年、桑沢デザイン研究所を卒業後、倉俣史朗と三宅一生のもとでデザインを学ぶ。
2000年に吉岡徳仁デザイン事務所を設立。

デザイン、建築、現代美術の領域において活動し、詩的かつ実験的な作品は、国際的に高く評価されている。(tokujin.com

 

久石 譲(ひさいし じょう) 1950年生まれ 長野県出身

日本の作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト。映画音楽を中心に手掛ける。特に宮崎駿監督作品においては、『風の谷のナウシカ』以降、『風立ちぬ』まで29年間すべての長編アニメーション映画の音楽を手掛けている。

また、北野武監督作品においても、『あの夏、いちばん静かな海。』から『Dolls』までの7作品の音楽を手掛けている。(Wikipedia

以下、この対談で語られていた久石さんの音楽製作に関する考え方について興味を持った部分を紹介したいと思います。

感覚は信じない

久石譲さんは、「感覚」というものを信じていないと言います。

作曲と言うと、とても感覚的な芸術のように思うのですが、「感覚は信じない」とは一体どういうことか。

人間は、日々刻々と移り変わる生き物です。その人間の感覚も、揺らぎやすく、当てにはなりません。

朝、目覚めてカーテンを開け、コーヒーを飲み、ピアノを弾く。同じテンポに合わせて奏でるのに、疲れているときや天候次第で不思議と速度が違って感じる。

このように、疲労や環境ひとつとっても、感覚は毎日変わっていきます。

自分の感覚は、気づかないうちに微妙に誤差が生じる。その不確定な要素の強い感覚を頼りにして、観客を相手にコンサートはできません。

感覚を頼りにできないとなれば、どうするか。「徹底的に自分を鍛える以外にない」、と久石さんは言います。

95%の論理と5%の感覚

一方で、それでも最後の最後には「感覚」を信じるとも語ります。

実は、この対談で、吉岡さんは「感覚を信じる」と言ったのですが、久石さんはその言葉を打ち消すように「僕は信じない」と言いました。

久石さんが「感覚を信じない」理由は、先ほども説明した通りで、体調ひとつでも、あるいはそのときの状況ひとつでも感覚は変化するものだから。

こうした不安定な「感覚」を信頼してしまうのは危うい、と久石さんは考えます。

久石さんは、夕日がきれいだと感じたからと言って、夕日をイメージして作曲するような真似はしません。

それはイメージの押し付けになる。

もし曲がしっかりと構成されていれば、聴き手は「朝焼け」をイメージするかもしれないし、「夕焼け」をイメージするかもしれない。こちらはこちらの仕事をし、あとは受け手に任せる。

だから、なるべく冷静に、フラットに曲をつくる。

感覚的だと思っていることの95%は論理的に説明できる、でも、残りの5%ができない。この5%を「感覚」と呼びたい、と久石さんは言います。

この言葉を僕なりに解説すると、「夕日がきれいだ」と思うのを全部「感覚」と言うのではなく、なぜ夕日がきれいだと感じるか、その理由は探っていけばある程度(95%)は論理的に説明ができる。

その「夕日がきれいだ」という「感覚」から、徹底して抽出した心の揺らぎ、それを「感覚」と言いたい、ということなのではないでしょうか。

日々の生活のなかで何かに感動する、美しい、素敵だ、と思う。

そのひとつひとつには理由がある。でも、理由について考え抜いても、どうしても届かない部分がある。

この「感覚」こそ、大いに頼りにすべき大切な〈何か〉なのだ、ということなのでしょう。

人間の感覚ほどあてにならないものはない。僕はまったく信じないね。最後の最後は信じるんだが、過程で信じることはない。(久石譲)

出典 : 久石譲×吉岡徳仁 SWITCH

物語は部分から全体に

世の中には、様々なクリエイターが存在し、それぞれに創作の哲学やスタイルというのを持っています。

久石譲さんも、これまで多くのクリエイターと一緒に仕事をしてきました。

そのなかで、たとえば映画の脚本家は、創作に当たって二つのタイプに分けられると言います。

一つは、「全体を設計し、部分をつめていくタイプ」、そして、もう一つは、「部分から全体に広がっていくタイプ」です。

まずストーリーの全体像をある程度決め、そのストーリーのなかで人物を動かしていく、いわゆる「神の視点」と呼ばれる場所からつくっていくタイプのクリエイターがいます。

一方で、ストーリーについては全然考えず、ある情景が浮かぶ。昼時のこと、駅前に一人の男がぼうっと立っている。

そこから、彼は一体どういう人物なのだろうか、今からどこへ行くのだろうか、と想像を膨らませ、ストーリーが展開していく。

こういうスタイルのクリエイターもいる。

そして、後者の作家の書く作品が「面白い」と久石さんは力強く言います。なぜなら、「人物が生きているから」。

神の視点から操作すると、どうしても登場人物が人形になりがちで、ストーリーも予定調和的になります。

でも、作者がもう少し下に降り、そのワンシーンから一緒に進んでいくと、その世界も人物も命を持ち、生き生きとします。

こうした書き方として代表的な作家が、久石さんの長年のパートナーでもある宮崎駿監督です。宮崎監督は、最初に浮かんだワンシーンからの想像性を大切にしています。だから、「意味」を問われても「そんなの、わからないよ」と言います。

また、小説家の村上春樹さんもこのタイプです。

最初の一行を書いて、そこから一気に書き進めていく。物語が自分をどこに連れていくかは自分でもわかりません。

どこか子供の頃の想像力、「遊び」にも似ていますね。

これは向き不向きというのもあるでしょうし、また「教育」によってこういう「遊び」の感覚は矯正されていってしまいます。

なぜなら、このつくりかたは方法論として一般化できないからです。全体の構成の仕方は言葉で教えられても、想像の森で遊ぶ方法は教えられません。

だから、全体からつくるのが不向きのひとにとっては、基本の教育みたいなものはなんだか窮屈に思えるのではないでしょうか。

久石譲さんの芸術論まとめ

この対談で語られていた内容を見ると、久石譲さんは、曲の壮大で感性的な印象とは打って変わり、とても緻密でストイックな印象を受けました。

それは、もしかしたらある種の枠が規定されている作曲という世界ゆえなのかもしれません。

論理的に追求していった先で、最後に残る「感性」の結晶。

それが、久石さんの考える芸術であり、音楽なのでしょう。

高畑勲×久石譲「かぐや姫の物語」サントラ「天人の音楽」の制作秘話

映画「かぐや姫の物語」サントラの制作秘話

天人の音楽。

高畑勲監督の遺作となった「かぐや姫の物語」の最後のシーンで、月の使者として雲に乗って到来する仏。

この仏の迎えとともに鳴り響く印象的な演奏が、久石譲さん作曲の「天人の音楽」です。

僕もこの作品を映画館で鑑賞し、あの最後のシーンの、月から現れる仏たちの姿と明るい曲調の音楽に涙が止まりませんでした。

かぐや姫の別れの場面。しかし、悲しみを煽るような曲でもなく、「明るい」と言っても元気になるような曲でもありません。

淡々と、圧倒的な、美しい残酷さ。

ああ、もう彼らが、あの音楽と一緒に現れたら抗うことは不可能だ、と諦めさせるほどの力強い音楽。彼らの前では、矢は花となって風に揺れ、兵士はたちまち眠らされてしまいます(無垢な子供たちだけが彼らの力の届かぬ場所にいるようです)。

この「天人の音楽」の制作秘話として、高畑勲監督と、サントラのほとんどの作曲を担当した久石譲さんの対談で語られていた内容が面白かったので紹介したいと思います。

まず、あのかぐや姫を迎えに来た仏たちの絵にはモデルがあると高畑監督は言います。

それは、平安時代以降に多く描かれた阿弥陀如来迎図(あみだにょらいごうず)です。

阿弥陀如来迎図とは、阿弥陀仏が、臨終の際に、信者を迎えるために極楽浄土からこの世に現れたときの光景を描いた絵図です。

阿弥陀二十五菩薩来迎図(鎌倉時代)

 阿弥陀聖衆来迎図(鎌倉時代)

高畑監督が、昔の来迎図を見ながら考えた最初の発想というのが「サンバ」でした。

阿弥陀来迎図という阿弥陀さまがお迎えにきてくれる絵があります。平安時代以来、そういう絵がたくさん残っているんですけれど、その絵の中で楽器を奏しているんですね。

ところが描かれている楽器は正倉院あたりにしかないような西域の楽器ばかりで、日本ではほとんど演奏されていない。だから絵を見ても当時の人には音が聞こえてこなかったと思います。

でも、打楽器もいっぱい使っているし、天人たちはきっと、悩みのないリズムで愉快に、能天気な音楽を鳴らしながら降りてくるはずだと。最初の発想はサンバでした。(高畑勲)

出典 : 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ロマンアルバムより

絵に描かれる楽器は見知らぬ異国のもの。それなら当時のひとは絵を見て一体どんな音を思い描いたのだろうか。

仏(死)の訪れと、打楽器。

きっと「サンバ」のように、どこか愉快で能天気な音楽を鳴らしながらやってくるのだろう、と当時のひとは想像したのではないか、と高畑監督が想像した、ということなのでしょう。

この「サンバ」という突拍子もない発想の種から、久石譲さんが、ケルティック・ハープやアフリカの太鼓、南米の弦楽器チャランゴなどを使ったシンプルなフレーズを混ぜ合わせたメロディを膨らませていきます。

そして、完成した曲を、却下されるかもしれないと思いつつ高畑監督に渡すと、「いいですね」と。

高畑監督に「サンバ」と言われ、当然ながら、久石さんは最初衝撃的だったそうです。

しかし、逆にスイッチの入った久石さんは、映画全体は西洋風の音楽をベースにしていたものの、ぎりぎり外れない瀬戸際まで思い切ったのが、この「天人の音楽」でした。

こんな風にして、あの世紀に残るクライマックス(「怖い」「トラウマ」といった声も多い名曲)が完成したのです。

わらべ唄

ところで、サントラと言えばもう一曲、映画のなかに登場する印象的な音楽が「わらべ唄」です。

「わらべ歌」

まわれ まわれ まわれよ 水車まわれ
まわって お日さん 呼んでこい
まわって お日さん 呼んでこい
鳥 虫 けもの 草 木 花
咲いて 実って 散ったとて
生まれて 育って 死んだとて
風が吹き 雨が降り 水車まわり
せんぐり いのちが よみがえる
せんぐり いのちが よみがえる

「かぐや姫の物語」より

実はこの曲は、高畑勲監督ご自身が作詞作曲しています(作詞は脚本家の坂口理子さんと共作)。

公式サイトのプロダクションノートによれば、曲制作の際には、〈初音ミク〉を使用し、久石さんにデモを聴かせていたそうです。

高畑監督がプロデューサーを務めた「風の谷のナウシカ(宮崎駿監督)」で、久石譲さんを映画音楽に起用し、久石さんは一躍脚光を浴びました。

二人は出会ってから30年。かねてから久石さんは高畑さんと一緒に仕事をすることを熱望していたようですが、意外にも監督と作曲家としては「かぐや姫の物語」が初タッグでした。

なぜか。そこには高畑監督の「気づかい」がありました。

僕はこれまで久石さんにわざとお願いしてこなかったんです。『風の谷のナウシカ』以来、久石さんは宮崎駿との素晴らしいコンビが成立していましたから、それを大事にしたいと思って。

 出典 : 久石譲 「かぐや姫の物語」 インタビュー ロマンアルバムより

これは高畑監督と久石さんの関係性というよりも、高畑監督と宮崎駿監督のなんとも言えない関係性を物語るエピソードですね。

高畑勲監督のお別れ会、宮崎駿監督の弔辞(動画)

宮崎駿監督の弔辞

ジブリの高畑勲監督(82)が亡くなり、先日、高畑監督のお別れ会が三鷹の森ジブリ美術館で営まれました。

長年の盟友、宮崎駿監督は、高畑勲監督に向けた弔辞で、ときに涙を流しながら二人の思い出を語りました。

ミヤネ屋「宮崎駿監督、弔辞」動画

宮崎監督と高畑監督の関係性は、友人や仲間と言うよりも、戦友といったほうがいいのでしょう。

二人の出会いは、宮崎監督が22歳、高畑監督が27歳の頃でした。

1963年、パクさんが27歳、僕が22歳の時、僕らは初めて出会いました。初めて言葉を交わした日のことを今でもよく覚えています。黄昏時のバス停で、僕は練馬行きのバスを待っていた。雨上がりの水たまりの残る通りを、ひとりの青年が近づいてきた。

「瀬川拓男さんのところへ行くそうですね」

穏やかで賢そうな青年の顔が目の前にあった。それが高畑勲こと、パクさんに出会った瞬間だった。

55年前のことなのに、なんとはっきり覚えているのだろう。あの時のパクさんの顔を今もありありと思い出す。

出典 : 高畑勲さん「お別れ会」 宮崎駿監督は声を詰まらせながら、亡き盟友を偲んだ(追悼文全文)

しかし、二人の間柄は決して美しいものではない、という風に誰よりも二人を近くで見てきたプロデューサーの鈴木敏夫さんは語っています。

互いに高め合う過程で、ぶつかり合うこともあったのでしょう。

たぶん、宮さん(宮崎駿さん)が、パクさん(高畑勲さん)に、こんなに真っ直ぐ出会えたことへの感謝を伝えたことはなかったのだろうと思います。

パクさん。僕らは精一杯、あの時を生きたんだ。膝を折らなかったパクさんの姿勢は、僕らのものだったんだ。

ありがとう、パクさん。55年前に…あの雨上がりのバス停で声をかけてくれたパクさんのことを忘れない。

出典 : 高畑勲さん「お別れ会」 宮崎駿監督は声を詰まらせながら、亡き盟友を偲んだ(追悼文全文)

伝えることのできなくなってからでないと伝えられないことを、宮崎駿監督は弔辞で述べているように感じました。

高畑勲監督の愛称「パクさん」の由来

文章の長さについて

先日、「文章の長さ」について訊かれる機会があったので、自分の考えをメモとして書き残しておきたいと思います。

文章の長さというのは、文章の「量」によって変わると思われるかもしれませんが、実際は文字数よりも読者の体感のほうが重要だと僕は思います。

旅行の道のりで考えてみるとわかりやすいかもしれません。

風景が移り変わる美しい道のりを電車で100km走るよりも、風景が一切ない場所を80km走るほうが体感としては長く感じます。

またつまらない授業と、好きなひととのデートも、時間の長さは全く違ってきます。

こうした例と同様に、文章の長さも、絶対的なものではなく相対的なものなのです。

それでは、一体どんな部分で文章の長さを感じるのでしょうか。

それは「ん?」と思わせるポイントの数によって変わってきます。言い換えると、「意識の断絶」です。知らない単語が続いたり、意味のわからない部分が続くと、その瞬間「読んでいる」という空気が一瞬途切れます。

これが連続すればするほど、文章は長く感じるようになります。

だからひとが心地よく読み進めるためには、「流れ」というのはとても重要なのです。

流れのある文章を書くコツとしては、あまりぶつ切りにしないで通しで書く、最初の一筆目を基本に据えるということです。

一筆目を基本にして、その「流れ」をなるべく壊さないように推敲する。

ちなみに詩に関して詩人の中原中也は、「詩を、大いに推敲しようとするな。詩はまた生き物である。いじくりまわせば死す」という風に日記に残しています。

流れを断ち切らない具体的な工夫の一つとして、漢字やカタカナの多用を避ける、ということがあります。

文字は言ってみれば「絵」です。絵として見たときに、複雑すぎたり、ごちゃごちゃしていると注意力が散漫になります(句読点や行替えなどでリズムも演出できます)。

また、漢字(難しい熟語や専門用語)、あるいはカタカナは、概念を示すことも多く、概念というのは、いったん立ち止まって考える必要が出てきます。

随所に自然と盛り込むぶんにはいいのですが、多用すると、読んでいる側はいちいち立ち止まっては歩き出す、ということを繰り返すことになります。

そういうときは「柔らかな補足」を足すようにするといいでしょう。

例 「印象派のモネは」→「風景を自身の印象を交えて描く〈印象派〉の第一人者クロード・モネは」または、「風景を自身の印象を交えて描く手法を〈印象派〉と言い、風景に沿って描く〈写実主義〉に変わって19世紀後半にフランスで登場しました。その第一人者でもあるクロード・モネは」など。

もちろんこれもケースバイケースで、想定する読者によってどちらのほうが長く感じるかは変わります。

いずれにせよ、「文章の長さ」というのは相対的なものだという風に知っておくと推敲の際のヒントになるでしょう。

シンボルスカ「一目惚れ」

シンボルスカ「一目惚れ」

ヴィスワヴァ・シンボルスカというポーランドの女性詩人がいます。

彼女は平易な言葉で(ときに皮肉も交えながら)語られる詩で、1996年にノーベル文学賞を受賞し、2012年に亡くなるまで存命中のもっとも偉大なポーランドの詩人と考えられていました。

僕がシンボルスカを知ったのは、学生時代に読んだ、ある雑誌の特集でした。

どんな特集だったのか詳細は忘れてしまったのですが、そのなかで映画監督の行定勲さんが、シンボルスカの『終わりと始まり』という詩集に収録された「一目惚れ」という詩を、自身の大切な詩として紹介していました。

この詩は、二人のあいだの「一目惚れ」という出会いの神秘性を描いた詩で、その美しさに僕はそれこそ一目惚れし、すぐに詩集を近所の書店で取り寄せました。

以下が、そのシンボルスカの「一目惚れ」です(沼野充義 訳)

「一目惚れ」

突然の感情によって結ばれたと
二人とも信じ込んでいる
そう確信できることは美しい
でも確信できないことはもっと美しい

以前知りあっていなかった以上
二人の間には何もなかったはず、というわけ
それでもひょっとしたら、通りや、階段や、廊下で
すれ違ったことはなかったかしら

二人にこう聞いてみたい
いつか回転ドアで顔を突きあわせたことを
覚えていませんか?
人ごみのなかの「すみません」は?
受話器に響いた「違います」という声は?
でも二人の答はわかっている
いいえ、覚えていませんね

もう長いこと自分たちが偶然に
もてあそばれてきたと知ったら
二人はとてもびっくりするだろう
二人の運命に取ってかわろうなどとは
まだすっかり腹を決めていないうちから
偶然は二人を近づけたり、遠ざけたり
行く手をさえぎったり
くすくす笑いを押し殺しながら
脇に飛びのいたりしてきた

しるしや合図はたしかにあった
たとえ読み取れないものだったとしても
三年前だったか
それとも先週のことか
木の葉が一枚、肩から肩へと
飛び移らなかっただろうか
何かがなくなり、見つかるということがあった
ひょっとしたら、それは子供のとき
茂みに消えたボールかもしれない

ドアの取っ手や呼び鈴に
一人の手が触れたあと、もう一人の手が
出会いの前に重ねられたこともあった
預かり所で手荷物が隣り合わせになったことも
そして、ある夜、同じ夢を見なかっただろうか
目覚めの後すぐにぼやけてしまったとしても

始まりはすべて
続きにすぎない
そして出来事の書はいつも
途中のページが開けられている

ヴィスワヴァ・シンボルスカ『終わりと始まり』より

行定勲監督は、昨年公開の映画『ナラタージュ』のインタビューの際にも、座右の銘を訊かれ、この「一目惚れ」の一節を挙げています。

座右の銘という言葉ではないですが、ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩の一節に「始まりはすべて続きにすぎない」というのがあります。

これは、偶然に翻弄(ほんろう)された二人が出会うのですが、実は昔からすれ違っていたのに気づかなかっただけ。そこで出会ったように思えるけれど、ずっと続いていたんだということなのですが、僕は映画を作っていると、この言葉の意味をすごく納得することがあるんです。

出典 :【インタビュー】行定勲監督、構想12年… 松本潤×有村架純で究極の恋愛映画『ナラタージュ』が完成!

偶然と必然のあわいのうつくしさを丁寧に描きだした東欧の詩。

ちなみに、この詩が収められている『終わりと始まり』の巻末には、シンボルスカのノーベル文学賞の際の記念講演の言葉が収録されています。

深く染み入る感動的なスピーチなので、よかったら読んでみて下さい。

高畑勲監督の愛称「パクさん」の由来

高畑勲監督「パクさん」の由来

スタジオジブリは、宮崎駿監督と高畑勲監督という変わり者の両巨頭を、二人より少し若い鈴木敏夫Pが支える、という三本柱が屋台骨。

その一角を占める宮崎駿監督の愛称は「宮さん」と言います。これはもうそのまま宮崎駿の「宮」をとったものです。

Photo : asahi.com

一方、高畑勲監督の愛称は「パクさん」です。

ドキュメンタリーやインタビュー、ラジオ番組などで、昔から宮崎監督も鈴木敏夫さんもよく「パクさん」と呼んでいました。

[box06 title=”あわせて読みたい”]宮崎駿、高畑勲の『かぐや姫の物語』について語る[/box06]

高畑勲監督が、一体なぜ「パクさん」なのでしょうか。

高畑監督はパンが好きで、東映時代に職場でパンばかり「パクパク」と食べていたことから「パクさん」と呼ばれるようになったというのが、その愛称の由来だそうです。

パクさんというあだ名の言われはですね、まあ定かでない部分もあるんですが、大体もの凄く朝は苦手な男でして、東映動画に勤め始めた時もギリギリに駆け込むというのが毎日でございまして。

買ってきたパンをタイムカードを押してからパクパクと食べて、水道の蛇口からそのまま水を飲んでいたと。それで、パクパク、パクになったという噂です。

出典 : 高畑勲さん「お別れ会」 宮崎駿監督は声を詰まらせながら、亡き盟友を偲んだ(追悼文全文)

ちなみに、高畑監督は遅筆で、数年に一本満足のいくまで作り込むタイプでした。

宮崎監督は、そんなパクさんを皮肉交じりに「ナマケモノの子孫」と称していました。

ジブリ・高畑勲監督のエピソードまとめ

高畑勲監督のエピソードまとめ

高畑勲監督(スタジオジブリ)の突然の訃報。

高畑監督が「かぐや姫の物語」のあと、もう一本、どうしても製作させたかった作品が「平家物語」だったそうです。

ジブリのプロデューサーの鈴木敏夫さんは、そのことが叶わなかったことを「残念です」と語っています。

Twitter上でも、高畑監督の死を悼む声があがり、遠くフランスからも悲しみの声が届いています。

また、宮崎駿監督に負けず劣らずの頑固で〈変わり者〉だった高畑勲監督。そんな監督の生前のエピソードを、多くのファンの方々が紹介しています。

そこで、Twitterに挙がっていた高畑勲監督のエピソードをまとめてみました。

高畑勲監督は、歴史に残るこれまで数多くの名作を残してきました。

そして、高畑監督(1935 – 2018)の遺作は、長い年月とこだわりをかけて完成させた「かぐや姫の物語」になりました。

美しく、遠い幻想のような世界ながら、内から痛々しいほどに深く込み上げてくるような、本当に素敵な作品です。

でも、もしかしたら高畑監督の最大で最後の作品は、「スタジオジブリ」そのものだったのかもしれませんね。