作家

村上春樹

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村上春樹

小説家の村上春樹さんは、1949年に京都で生まれ、兵庫県の芦屋市に育ちます。

村上春樹さんの両親が国語の教員だったことから、村上さん自身も読書家として育ち、10代の頃は(日本文学が好きな親への反発心から)欧米文学に傾倒。

当時の愛読書は、河出書房の『世界文学全集』と中央公論社の『世界の文学』、また中央公論社の『世界の歴史』を繰り返し読んで過ごします。

大学は早稲田大学第一文学部の映画演劇学科に進学。ただ、大学在学中は授業にあまり参加せず、レコード屋でアルバイトをしながら、ジャズ喫茶に入り浸り、それから水道橋のジャズ喫茶「スウィング」の従業員に。

その後、学生結婚し、大学在学中の1974年、国分寺駅南口にあるビルの地下でジャズ喫茶「ピーター・キャット」を開店。「ピーターキャット」という店名は、以前飼っていた飼い猫に由来します。

私が最初に村上夫妻を見たのは、1974年の春のことだった。夫妻は国分寺駅の南口で、開店したばかりの「ピータ・キャット」のマッチを配っていた。

マッチの表には、ルイス・キャロルの『ふしぎの国のアリス』のチェシャ猫とpeter-catのロゴが白字に墨で配置。書体は写研のタイプライター・フェ イスで、裏にはゴシック体でJAZZ50Sの文字。背には、KOKUBUNJIの文字と電話番号があった。

出典 : 1974年のピータ・キャット 村上春樹さんとの出合い

この店舗で経営者として若き日を過ごした村上春樹さんは、20代も終わりに差し掛かった頃、人生の分岐点を迎えます。

それは1978年4月1日のこと、明治神宮球場で野球観戦をしながら、ふと「小説を書こう」と思い立ち、以降、ジャズ喫茶(夜間はジャズバー)を経営しながら深夜にこつこつと書き溜めた小説を、『群像』に応募。

その作品が『群像新人文学賞』を受賞し、作家村上春樹のデビュー作として『風の歌を聴け』が出版されます(作品のタイトルは、カポーティの短編『最後のドアを閉じろ』の最後の一行 “Think of nothing things, think of wind – なんでもないことを考えよう、風のことを考えよう – ”に由来)。

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それでは、この「村上春樹」という名前はペンネームでしょうか、それとも本名なのでしょうか。

一見するとペンネームのような雰囲気ですが、実際は紛れもなく本名です。ただ、最初『群像』に送った際には、少し漢字を変え、「村上春紀」とするも、授賞時には本名に戻します。

角川の社長が角川春樹で、少し年下ですがほぼ同世代の芥川賞作家に村上龍がいたことから、二つを繋げて「村上春樹」というペンネームにしたのではないか、と言われ、また、わざとらしく見えるので逆にペンネームを勧められるということもあったようですが、結局は本名である「村上春樹」として作家活動を開始。

ただ、人気作家となってからは、銀行窓口などで「村上春樹さん」と呼ばれるのが気恥ずかしく、ペンネームにしておくべきだったと少し後悔することもあったようです。