金子みすゞの本名とペンネームの由来
詩人の金子みすゞは、1903年に山口県に生まれ、1930年に26歳という若さで服毒自殺によって亡くなった女性詩人です。
金子みすゞ(1903〜1930)
自殺の理由は、放蕩の激しい夫。金子みすゞは、叔父の経営する上山文英堂の番頭格だった宮本啓喜と結婚し、二人のあいだに一人娘が生まれます。
しかし、夫は叔父と不仲となり、上山文英堂を追い出されると、自暴自棄に。もともと女性問題も酷かったものの、ますます放蕩にふけるようになります。
また、金子みすゞの詩の投稿や詩人仲間との文通を禁じたり、淋病を感染させるということもあり、みすゞは夫と離婚することになります(正式な離婚は行われず)。
離婚に際し、幼い一人娘を手元で育てたいとみすゞが求めると、一度は受け入れた夫が、態度を翻し、強硬に親権を要求。
このことに抵抗するために、みすゞは、娘を母に託すことを求める遺書を残し、服毒自殺を行います。
金子みすゞの代表作としては、『私と小鳥と鈴と』や『こだまでしょうか』という詩が知られています。
『私と小鳥と鈴と』
私が両手をひろげても、
お空はちっとも飛べないが
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
出典 : 金子みすゞ『わたしと小鳥とすずと―金子みすゞ童謡集』
文英堂書店の店番をしているときに読んだ西條八十の詩に感銘を受け、1923年、自身も雑誌に投稿を始めます。
金子みすゞという名前はペンネームで、本名は金子テルと言います。
この「みすゞ」というペンネームの由来は、信濃国の枕詞「みすゞ刈る」にあり、この言葉の響きが美しく、金子みすゞ自身が好きだったことからペンネームに採用したそうです。