作家

宮沢賢治

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宮沢賢治

誰もが一度は、宮沢賢治という名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。

宮沢賢治とは、1896年に岩手県花巻市に生まれ、1933年に若くして病で亡くなる日本を代表する詩人です。

宮沢賢治宮沢賢治(1896〜1933)

宮沢賢治といえば、詩人だけでなく、童話作家、教師、科学者、宗教家など多彩な顔を持ち、また農民の生活向上のためにも尽力します。

仏教と農民生活が根っこにある創作を行った作家で、郷里の岩手県をモチーフとした架空の理想郷として「イーハトーヴ」と名付けたことも有名です。

【13分で学ぶ教養】人生に生きる、奥深い宮沢賢治の世界観

宮沢賢治の代表作として、『銀河鉄道の夜』や『雨ニモマケズ』など数多くの詩や童話が知られていますが、生前に出されたのは、詩集『春と修羅』と、童話集『注文の多い料理店』の二冊のみです。

なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとならとうげの上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。

出典 : 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

この「宮沢賢治」という名前は、一見するとペンネームのようにも見えますが、れっきとした本名です(ただし、漢字は宮澤賢治です)。

宮沢賢治の使ったことのあるペンネームとしては、21歳のとき、『校友会会報』に筆名「銀縞」で、短歌「雲ひくき峠等」を発表しています。

また、あだ名として、小学生の頃、鉱物採集に熱中していたことから、家人に、「石っこ賢さん」と呼ばれ、中学時代には(由来はわかりませんが)「HELP」というあだ名で呼ばれています。

小学生から中学生にかけ、鉱物や植物、昆虫採集、また星座などにも熱中していたと言われています。

宮沢賢治の家族で言えば、妹のトシがもっとも重要な存在として取り上げられます。

トシは、賢治にとって大事な妹でしたが、24歳という若さで病気によって亡くなり、そのときのことを綴った感動的な詩として、『永訣の朝』が知られています。

『永訣の朝』

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (*あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨いんざんな雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜じゆんさいのもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀たうわんに
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛さうえんいろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系にさうけいをたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
(*Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (*うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる
どうかこれが天上のアイスクリームになつて
おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

永訣とは、永久の別れ、死別のことを意味します。また、詩の中の「あめゆじゆとてちてけんじや」とは、「雨雪をとってきてください」というトシの願いの言葉です。