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太宰治

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太宰治

作家の太宰治は、1909年、青森で生まれ、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながら、数々の名作を執筆。戦後まもなく、1948年に玉川上水で愛人と自殺します。

太宰治

代表作は、『人間失格』という破滅型の昭和の名作家、太宰治。

日本だけでなく、海外でも人気で、たとえばアメリカの若い世代にも太宰治の作品は刺さるものがあるようです。

アメリカの若者たちのあいだで、太宰治が遺した文学作品がブームとなっている。火付け役はTikTokだ。

ニューヨーク・タイムズ紙は3月5日、「太宰治がTikTokの力を借り、新たなファンを獲得し続けている」との記事を掲載した。動画で知った太宰作品を実際に読んで衝撃を受け、「人生観が変わった」というユーザーが続出しているという。

出典 :「人生観が変わった」太宰治がアメリカで人気…TikTokで知った若者が『人間失格』に夢中

太宰治の言葉が、TikTokの力も借り、今なお、アメリカの若者の心を掴み、新たなファンを獲得し続けているというのも不思議なものです。

アメリカだけでなく、韓国の若い女子にも人気だという太宰治。

韓国のZ世代女子に「人間失格」が刺さりすぎて”5年間ずっとベストセラー”の異常人気に「18歳ですが日本特有の静けさと残忍な内容を黙々と語る文体が…」

ところで、この「太宰治」という名前は、本名ではなくペンネームです。

太宰治の本名は、「津島修治(つしましゅうじ)」と言い、青森の大地主である津島源右衛門と、その妻たねの六男として生まれ、11人の子女のうちの10番目の子です。

太宰治が最初にペンネームを使ったのは、どうやら1928年発行の同人誌で使用した「辻島衆二」のようです。

その後、「太宰治」というペンネームを使うことになるのが、1933年、『サンデー東奥』に短編『列車』を発表したときのこと。

本名ではなく太宰というペンネームを使ったことに関し、太宰治の師でもある井伏鱒二が、「従来の津島では、本人が伝うときには『チシマ』ときこえるが、太宰という発音は津軽弁でも『ダザイ』である。よく考えたものだと私は感心した」と回想記で語っています。

それでは、そもそも「太宰治」というペンネームは、一体何に由来するのでしょうか。

ペンネームの由来については諸説ありますが、昭和23年発行の雑誌『大映ファン』に掲載された、太宰治本人のインタビューによれば、名前を決める際の経緯を次のように説明しています。

特別に、由来だなんて、ないんですよ。小説を書くと、家の者に叱られるので、雑誌に発表する時本名の津島修治では、いけないんで、友だちが考えてくれたんですが、万葉集をめくって、初め、柿本人麻呂から、柿本修治はどうかというんですが、柿本修治は、どうもね。

そのうち、太宰権帥大伴の何とかっていう人が、酒の歌を詠っていたので、酒が好きだから、これがいいいっていうわけで、太宰。修治は、どちらも、おさめるで、二つはいらないというので太宰治としたのです。

出典 : 太宰治のペンネームのこと

ここでは、本名を使わなかった理由として、小説を書いて家の者にばれると困るので、雑誌に発表するに当たって別の名前が必要になった、と話しています。

また、太宰権帥大伴の何とか、というのは万葉集にある歌人の大伴旅人(おおとものたびと)のことで、お酒が大好きで、元号「令和」の由来になった文章の作者(諸説あり)としても有名です。

大伴旅人が、太宰権帥(実際は「太宰府長官太宰帥」)であることから、「太宰」と名付け、さらに、本名の「修治」だと「おさめる」が二つもあって要らないから、一つとって「治」とした、という風に、ペンネームの由来を太宰自身は解説しています。

他にも、高校時代に周囲から尊敬されていた年齢がだいぶ上の同級生に、「太宰友次郎」という人物が在籍し、その人物からとったのではないか、という説もあります。

以上、太宰治のペンネームと由来でした。