太宰治の本名と、ペンネームの由来
太宰治は1909年、青森で生まれ、自殺未遂や薬物中毒を繰り返しながら、数々の名作を執筆。戦後まもなく、1948年に玉川上水で愛人と自殺します。

代表作は『人間失格』という破滅型の昭和の名作家、太宰治ですが、この「太宰治」という名前は、本名ではなくペンネーム(筆名)です。
太宰治の本名は、津島修治(つしましゅうじ)と言い、青森の大地主である津島源右衛門とその妻たねの六男として生まれ、11人の子女のうちの10番目の子でした。
太宰が最初にペンネームを使ったのは、どうやら1928年発行の同人誌で使用した辻島衆二のようです。
そして、「太宰治」というペンネームを使ったのは、1933年、『サンデー東奥』に短編『列車』を発表したときのことで、本名ではなくペンネームを使った理由については、太宰の師でもある井伏鱒二が、「従来の津島では、本人が伝ふときには『チシマ』ときこえるが、太宰といふ発音は津軽弁でも『ダザイ』である。よく考へたものだと私は感心した」と回想記に綴っています。
それでは、そもそも「太宰治」というペンネームは、一体何に由来するのでしょうか。
由来については諸説ありますが、昭和23年発行の雑誌『大映ファン』に掲載された太宰治本人のインタビューによれば、次のように答えています。
特別に、由来だなんて、ないんですよ。小説を書くと、家の者に叱られるので、雑誌に発表する時本名の津島修治では、いけないんで、友だちが考へてくれたんですが、万葉集をめくつて、初め、柿本人麻呂から、柿本修治はどうかといふんですが、柿本修治は、どうもね。
そのうち、太宰権帥大伴の何とかつて云ふ人が、酒の歌を詠つてゐたので、酒が好きだから、これがいゝつていふわけで、太宰。修治は、どちらも、おさめるで、二つはいらないといふので太宰治としたのです。
太宰権帥大伴の何とか、というのは万葉集にある歌人の大伴旅人(おおとものたびと)。お酒が大好きで、元号「令和」の由来になった文章の作者(諸説あり)としても有名です。
大伴旅人が、太宰権帥(実際は「太宰府長官太宰帥」)であることから、「太宰」と名付け、本名の「修治」だと「おさめる」が二つもあって要らないから一つとって「治」とした、と太宰治は、その由来を説明しています。
他にも、高校時代に周囲から尊敬されていた年齢がだいぶ上の同級生に、「太宰友次郎」という人物が在籍し、その人物からとったのではないか、という説もあります。